安藤緩太「蜃気楼 -絶対的インフォーマルによる現実の解釈と人間らしさの獲得-」
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私たちが自身の知識や認識を頼りに捉える現実は非常に曖昧なものである。それに何の疑いも持たず、ただ多数派に属するため、周囲から非難を浴びないために現実を書き換えようとする心理は、現代における問題の一つではないだろうか。インフォーマル=対象に複数の解釈を委ね、人間の知覚に揺らぎを与える経験は、目の前の現実を疑うことと同義である。そして、目の前の現実を受け入れることは人間らしさ=多様な感情や価値観の共存の獲得へとつながる。本設計では、フォーマル/インフォーマルという構図を現代社会に見立て、フォーマルに回収されない「絶対的インフォーマル」を創出する。誰もが正しく、且つ間違って解釈する絶対的インフォーマルは、私たちの見つめる現実の二重性を示唆し、人間らしさを取り戻すためのトリガーとなる。
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01 | RESEARCH
01-1 | 定義
本課題はインフォーマルという概念に対して独自の定義を与えることから始まる(課題要項の定義は便宜的なものに過ぎない)。
以下に記すリサーチを通して、私は最終的にフォーマルを「対象に特定の解釈を委ね、特定の行為を促す経験」、インフォーマルを「対象に複数の解釈を委ね、人間の知覚に揺らぎを与える経験」と定義した。
01-2 | リサーチ
リサーチとして、身の回りに見られるインフォーマルな事例の収集を行い、それらを01.転用(用途の置換)、02.利用(用途の付加)、02’.アフォーダンス、03.使用(用途の発見)、04.ルールの変更、05.部分と全体、06.自然現象の7項目に分類した。次に、収集した事例を自らが感じた性質、相対性/絶対性、人為性/自然性、明瞭性/不明瞭性、同調性/反駁性という8つの指標に結びつけ、それぞれの関連性を見る。すると、相対性と明瞭性、絶対性と不明瞭性は伴って現れる性質であることがわかった。つまり、フォーマルと相対化されない絶対的なインフォーマルは、もとの意図が不明瞭あるいは存在しない。私はここにインフォーマルを「設計する」意義を見出した。
01-3 | 絶対的インフォーマル
絶対的インフォーマルとは、相対化されるフォーマルが存在しないものを意味する。つまり、絶対的インフォーマルは誰もが正しく、且つ間違って解釈でき、フォーマル/インフォーマルという二項対立関係から逸脱した存在となる。この二重性こそが絶対的インフォーマルの性質であり、「設計する」意義になりうると考えた。絶対的インフォーマルは、私たちの見つめる現実の二重性を示唆し、人間に知覚経験を揺さぶると同時に、フォーマル/インフォーマルという概念そのものに問いを投げかける契機となる。
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02 | DESIGN PLAN
02-1 | プログラム
建築家ドローイング集団スーパースタジオ (Superstudio)のコンティニュアス・モニュメントおよびスーパーサーフェスは時代に対する「異議申し立て」として構想された。そうした批判的かつ皮肉的な建築行為は、私たちの見つめる現実、その先の未来がいかに曖昧で危ういものであるかを示唆している。正義と悪が主体に応じて反転するその世界は絶対性を有し、絶対的インフォーマルとして現実の二重性を映し出していると解釈できる。これを踏まえ、絶対的インフォーマルを創出するにあたり、社会性を有する建築が諸問題を解決するのではなく「示唆」することが有効であると考えた。本設計は、以下に記すスーパースタジオ (Superstudio)の2つの否定行為を踏襲し、テクノロジーの発達に盲信した世界を超現代的に描くことで、未来の危うさを孕む現代への提言とする。
1.時代の否定
「─自然発生的と呼ばれる蜃気楼のような、あるいは鬼火のような建物、気のきいた家屋、建築家不在の建築、生物学的・幻想的建築を排除し、われわれは「コンティニュアス・モニュメント」にむかって歩もう。そ」
れはただ、ひとつの連続的環境からうまれた建築の一形態であり、テクノロジーや文化、さらには帝国主義によってつくられたすべての不可避的なものによって画一化する世界である。」
テクノロジーや帝国主義などによって画一化に向かう時代を否定している。画一化の先にある高度で低級な世界を示し、その虚しさを逆説的に突きつけた。
2.デザイン(行為)の否定
「─感触を持ち、多様なニュアンスにいろどられた、聖化されたオブジェクトは、それが社会的に存在している時間の経過に応じて、たえまなく権力の手によって体制化され、収奪されていくことは必然である。とす
れば、このような収奪に耐えうるものは、あまりに非個性的であり、均質であるがために、もはや意味を賦与することができないような茫然とした、中性的なものかもしれない。」
時間の経過や帝国主義によるデザインの収奪を否定している。この思想から生まれたシングルデザインは、中性的なデザインとして普遍的なものであった。
02-2 | 分断
時代を否定し、現世とテクノロジーの発達した世界を分断するため、かつてのテクノロジー発達に当たる都市開発「BigTrigon」の三角形を欠くように、神田駿河台4-6計画(ソラシティ)を含めた半径約150mのエリア一帯を壁によって分断する。 ここで壁は世界を分断すること、街を抉る強い存在であることを意味づけるために無機能とする。それは相対化されるフォーマルの存在しない絶対的インフォーマルである。
壁内をテクノロジーの発達した世界として超現代的に描き、その豊かさあるいは虚しさを現代への提言とする。ただし壁の内側と外側はともに正しく、且つ間違った世界=絶対的インフォーマルとして存在する。故に、その解釈は主体に委ねられている。また、世界を分断する壁はシングル・デザインに倣い、普遍的なデザインとして反射材を使用する。自身は姿を消し、皮肉にも一方の世界を虚像として映し出す。
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△全体断面図
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△住戸ユニット
テクノロジーの発達した世界において居住空間は極限まで簡略化され、コアに寄生するユニット形式のものになる。2400×7200の狭小空間に必要最低限の設備とドローンポートが設えられ、住人はユニットを出ることなく生活する。非場所化を体現する生活は、移動を必要としない便利なものでありながら、他者と断絶された無機質なものにも思える。
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△インフラステーション
既存の御茶ノ水ソラシティを転用したインフラステーションは、低層部からゴミ焼却発電施設、倉庫、ドローンポートとして計画する。生活に必要な物資はB3Fに接続された丸ノ内線から輸送され、ドローンによって各住戸ユニットへと供給される。ドローンはゴミを収集したのちインフラステーションに帰還し、ゴミ処理・発電がなされることで、壁内は1つのエコシステムとして循環する。また、インフラステーション上層部は地上の人々によって占拠され、住戸ユニットに住まうことを拒んだ彼らは、原始的かつ不便な生活の中に生き生きと暮らしている。
03 | EPILOGUE
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テクノロジーに盲信した人々が地上へ降りるとき、彼らは自身の生活力が欠如していることに初めて気がつく。そして、壁内地上は半ばスラムと化す。その様子は壁の内外が反転したかのようであり、後退した暮らしの中に、むしろ生き生きとした人間らしい姿を見ることができるかもしれない。
講評:「インフォーマリティ」を、フォーマリティの対概念としてではなく、あくまでも絶対的な存在として構想する難題にチャレンジした意欲作である。スケールアウトした壁によって、テクノロジーの加速した内側の世界と外側の現世をどちらも「正しい」存在としてシニカルに表現している。ただ、この両者を俯瞰して思考できる我々は良いとして、実際の住人はこの表現の「示唆」をどう認識し、生きるのだろうか。その意味で、壁が両者を俯瞰する場や交換の場として機能しても良かったようにも思う。(雨宮)